からだのブログ

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恋はインタラクティブ

2月 10th, 2003 · No Comments · tek, web

またFlashネタなんだが、ほんとはおまえFlashが好きでたまんないんじゃないか、って感じだが思ったことを。

今授業で使っているFlashの教科書には、インタラクティブって言葉が載ってる。そりゃまあFlash自体がインタラクティブを謳っているのだから、教科書にも出てくるだろう。で、Flashでインタラクティビティを実現する具体的な手段として、アクションが挙げられている。ユーザがオブジェクトをマウスでクリックしたりそういう動作(アクション)によって、Flashのムービーに何らかの影響を与えるわけね。

んで、アクションを使った具体例として、NextとPreviousボタンがついた4コマ漫画のサンプルがついてる。この漫画はNextやPreviousボタンをクリックすることで、次のコマや前のコマを見ることができるようになってる。まあFlashのアクションの概念を簡単に説明するためにこういうサンプルを持ってきたんだろうけど、俺の思うにこれは厳密な意味でのインタラクティビティじゃない。

インタラクティブってのはコンピュータにおいては「対話式の」っていう意味。確かにこのサンプルはアクションを使わないFlashムービーと違い、Nextボタンをクリックするまでは勝手に次のコマに進んでしまうようなことはない。Nextボタンをクリックすることで初めて次のコマに進むわけだが、結局それはコンピュータ(ここではハード/ソフト関係無しに、大きな処理体系として見てちょ)が「待ってくれている」だけのこと。受け手は1コマ目から4コマ目まで上から下へ順番に見ていくというフローの中にいる。そのフローは受け手が決めるわけでなく、結局のところ作り手によって決められている。

本当のインタラクティビティは、今の状態(ステートメント)からどんなアクションを起こすか、ユーザが自由に決められるところにある。じゃあこの4コマ漫画のサンプルをインタラクティブにするには、どうしたらいいのか。答えを言ってしまえば、普通、ストーリーのあるものをインタラクティブにすることなんかできない。ストーリーがあるってことは、作り手は受け手に対し、作り手の意図するフローで見てもらわなければ、ほとんどの場合意味をなさないから。

結局のところ真のインタラクティビティを実現するには、最初からインタラクティブありき、では駄目なのだ。インタラクティビティはそれが必要とされたときに実現されるべきなのであって、最初からインタラクティビティの必要が無いものに関しては、どうやってもそれを真のインタラクティブにはできないのだ。まあよくよく考えてみると、インタラクティブって言っても、作り手はそれを受け手がいないところで作り、受け手はそれを作り手がいないところで見るわけだから、コンピュータにおけるインタラクティブは、そんな簡単なもんであるはずがないんだよな。

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