前から自分でも違和感を持っていたわけだが、俺って指示語、いわゆる「こそあど」の使い方がいまいち。
特に今まで確信が持てなかったのが文章の中での指示語の使い方。その中でも「これ」と「それ」をあまり弁別してなかった。で、ここ最近それに注意していろんな文章を読んでいたわけだが、やっとわかった予感。Wikipedia に欲しいものがそのままあったよw
文脈指示
文脈指示用法は、話題になっているものや記憶の中にある要素を指す用法である。コ系列は談話に導入された要素や、直後に導入する要素を指す(「正解はこうです。まず…」)。ソ系列は、それまでに談話に導入された要素を指し、仮定した要素や不特定の要素をも指すことができる(「誰か来たらその人に…」)。また「その」には「この」「あの」にはない所有関係を表す機能がある。ア系列は記憶の中にあるものを引き出すときに用いる(「あの頃は良かった」)。
指示語 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うん。まあ、自分の中であやふやだったのが文章化されたってだけ、ではある。しかし、自分の文章に感じていた違和感は、やっぱりそれがおかしいからだってわかったのでよかったかも。
コソアドの並びがそのまま話し手のコンテキストからの距離感(物理的または時間軸的)の近さと一致する感じ?って解釈していた。
中国語を勉強してみて気づいたのは、中国語はコとソの用法つか境界が日本語とちょっとずれてる。
あと、コソアドが这,那,那,哪でソとアが同じ。
たぶん英語も含め殆どの言語でちょっとずつ概念のずれがあるよね。
ええ、並びのとおりですね。
ただ、「どの」を何番目に置くのが合理的か考えると、一番最初のような気がしてならないのです。
その理由はこうです。距離というものは本来正の値であるはず。しかし、「どの」はそのほかとは違い距離感がわからないので、-1 を返すべきなんです。ええ、indexOf() みたいに。
従って、われわれが「自然に」感じる距離感を基準に考えれば、「どこそあ」にならないといけないわけです!
英語では come を使うときに視点の違いが混乱を招いたりしますね。