からだのブログ

五体満足に生まれてきたことに感謝してブログの名前を「からだ」にしました。

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死の恐怖

10月 30th, 2006 · No Comments · unclassified

死ぬということには、時間の観点から大きく分けて2つの種類の恐怖を伴う。
一つ目は、死ぬ瞬間までに関するもの。痛かったり苦しかったり、そういうことに関する恐怖。ここでは、臨死の恐怖としておく。もう一つは、死んだ後に関するもの。自分という存在はどうなってしまうのか、ということに関する恐怖。同様に、死後の恐怖としておく。
そんでだ、週末の深夜友人と二人で、死の恐怖について語ったわけ。俺の場合だと、当然臨死の恐怖はある。痛かったり苦しかったりは嫌だ。まあ、これはたぶん誰でも嫌だろう。で、死後の恐怖について話が及んだとき、興味深いことになった。
その興味深いことを説明する前に、その死後の恐怖の話題の前に、魂(あるいは、物質的肉体を補完する非科学的な何か)という存在は有るか無いか、という話をしていたことについて言わないといけない。その話を要約すると、友人は魂なんて無いという立場(一元論者)で、俺は「有る」とまで言えないけど、脳の仕組みがよくわかってない以上、無いと断定もできないという立場(二元論者)、ということだった。
そんで元に戻って、死後の恐怖について話題が移ったのだけど、どうやら死後の恐怖を前には、二人の立場が逆転するということがわかった。
友人の意見。魂が無ければ、死後完全に自分という存在は無くなってしまう。自分が自分を認識できなくなるのだから、そこに死体があろうと「無」なわけだ。それは怖い。だから、立場としては一元論者ではあるけども、死後も何らかの形で存在し続けるために、魂という存在があって欲しい、ということらしい。
俺の意見。魂が無ければ、死後完全に自分という存在は無くなり、全部チャラだ。そうすりゃ苦しくも悲しくも何も無いわけで、間違って生まれ変わってまたそれらに直面する、なんてことも無いわけだ。だから、立場としては二元論者に近いけど、全てのものから開放されるため、魂なんて無い方がいい、というわけ。
で、おまいらはどう思うよ?

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