からだのブログ

五体満足に生まれてきたことに感謝してブログの名前を「からだ」にしました。

からだのブログ header image 1

いつに戻るか

11月 10th, 2005 · unclassified

「もしも時間を戻せるのなら、いつに戻りたいか」って質問あるよね。俺は現状に満足してるし、別にいつかの時点に戻りたいってことはない、って思ってた。
でも最近は生きてるのが面倒で、時間を戻すのはやっぱりいやなんだけど、70歳くらいにならないかな、って思い始めた。子供がいるかどうか知らないけど、どちらにしてもその頃には事が片付いて、一日特に何をするでもなく、後は死ぬだけの状態。お金は、食うに不自由しなけりゃそれでいい。もしも70歳より前に死ぬ運命で、希望が叶った時点で土の中だとしても、それで構わない。これって今の時点でもう死んでるのと同じ気もするけど。。。
高校の頃も学校のことでいろいろ悩みがあって、何のために生きてるんだろうって考えた。今そのことを考えると、生きてる意味なんて無い方がかえっていいや。どうせ生きてる意味なんて無いんだから、下手な理由付けして、それが重荷になるんなら、そんなの最初から無い方がいい。

→ No CommentsTags:

昨日のテレビ欄

11月 7th, 2005 · unclassified

昨日の新聞のテレビ欄を真剣に見てて、そのあとでそれが昨日のものであると知ったときって、やってらんないよな。

→ No CommentsTags:

北川和美

11月 7th, 2005 · unclassified

オウム入信、脱退、アレフ入信、そして北朝鮮に亡命。
いやーすごいエリートコースだなぁと。

→ No CommentsTags:

USBメモリと高校の購買

11月 5th, 2005 · unclassified

USB接続のフラッシュメモリ(以下、USBメモリ)が普及してから随分経つ。手軽に様々なデータを持ち歩けるようになって、すごく便利になった。FDで「ギーコギーコ」言いながらちんたら読み書きしてるのを、待たなくていいのもかなりいい。
まあ、そんなんことは今更言うまでもないのだけど、USBメモリやUSB接続の外付けHDDなどを使っていて不便な点がある。それは、それらデバイスに格納されているファイルを全部解放したはずなのに、なぜか(OSレベルで)取り外しができないことがしょっちゅうある、という点である。何度取り外し要求をしても、一向に取り外しの許可が出ない。
まあ、そのデバイスから読み込んだだけで、書き込みをしてないときには、取り外しの許可を待たずにハードウェア的に抜いてしまうけど。でも、大きなファイルを書き込んだときには、そうはいかない。「誰だよ、まだファイル開いてるやつは。早く解放しろよ。」といらいらしながら、何度も取り外し要求を出すわけだ。

ところで、高校時代下宿に住まい、下宿で作ってもらうバリエーションの乏しい弁当を持って高校に通っていた俺は、たまに学校の購買を利用することがあった。
うちの学校では、購買という窓口があるわけではなくて、クラスごとの購買の係が、朝注文を取ると同時に集金をして、昼休みに所定の場所に品物を取りに行く、という方式だった。注文と同時に集金とは言っても、係は面倒なので、注文票と集金袋を置いておき、注文したい人が注文票に書き込んで、集金袋に代金を入れる、という流れだった。
そうすると、本人に悪意があるのか無いのかわからないけど、代金が足りないことがたまにあるわけだ。で、「誰だよ、ちゃんと払わないやつは。」って空気がクラスを覆うわけだ。

似てない?

→ No CommentsTags:

Google 不通

11月 3rd, 2005 · unclassified

現在Googleに繋がらない。「Webは闇に包まれた」って感じだなあ。

→ No CommentsTags:

ハムラビ法典

11月 1st, 2005 · unclassified

(今更聞くまでもない雑学。でも知らない人もたまにいる。)
「目には目を、歯には歯を」で有名な「ハムラビ法典」。この法典に、前時代的で野蛮な印象を受ける人がいると思う。でもそれが公布された時点で、かなり道徳的な法典だったと言える。
法典以前の時代においては、仕返しが倍返し、3倍返しになることがあった。この法典の「目には目を」というのは、「目をつぶされたら、相手の目をつぶすことを限度とする」っていう限度を意味しているのだ。
そうは言っても、「目をつぶされたら、相手の目をつぶしてもいい」というのは、現代においてはやっぱり野蛮だ。しかし、この法典ができた経緯を考慮すると、現代において、復讐の正当化にこの法典を引用してくるのはおかしい。

→ No CommentsTags:

十字配置キー

11月 1st, 2005 · unclassified

実家に置いてあるテレビのリモコンには、十字キーのように、上下左右に配置されたボタンがついている。ここでは、これを十字配置ボタンと呼ぶ。上下のボタンはチャンネル切り替えに対応している。空きチャンネル(砂嵐)はスキップするので、ザッピングにちょうどいい。左右のボタンは音量調整に対応している。右で音量が大きくなり、左で小さくなる。
で、この十字配置ボタンの機能割り当てが、どうも間違ってるんじゃないかな、って思った。それは、「上下関係」や「横並び」といった言葉からも連想される、文化を越えてかなり普遍的な上下左右の概念と、十字配置ボタンの機能割り当てがそぐわないから。
最初に、「上下」という関係には、普通は「順番」とか「大小」とか、ひっくり返したり、入れ替えたりすると意味を失うものが連想される。そして、チャンネルというのは、「上下」という関係から連想される性質のものではない。仮に、Aというテレビ局が1chに割り当てられていたとする。それでは、Aテレビ局が2chだったらダメか、と聞かれたら、そんなことはない。3chでも4chでも、他の局と重複さえしなければいいのだ。
次に、「左右」という関係には、ある観点からみて同質な、複数の選択肢が連想される。「上下」のように、左より右のほうが上である場面も無いわけではない。例えば数学などのグラフなどは、左より右のほうが上、つまり数値が大きくなる。こういう例もあるけど、「上下」から連想される「大小関係」より、「左右」から連想される「大小関係」が強くなることはない。
そして、十字配置ボタンでは、左右に音量調整が割り当てられているけど、「音量の大小」って言うくらいだから、どう考えても音量には強い「大小関係」が連想される。その「大小関係」は、少なくともチャンネルのそれよりは強い。従って、十字配置ボタンには、上下には音量調整を、左右にはチャンネル切り替えの機能を割り当てるべきだ。

(インタフェースを設計する上で、過去の操作性を踏襲することは、かなり重要だ。もし、それがためにこの十字配置ボタンにこのような機能割り当てが為されているとしたら、それは仕方ないというか、最初にそれを選択したのが間違いだろう。)

→ No CommentsTags:

手紙

10月 31st, 2005 · unclassified

「あまり関わることはなかったけど、お世話になりました。」(「日本一短い校務の先生への手紙」より)

→ No CommentsTags:

サンプラザ

10月 31st, 2005 · unclassified

中野

→ No CommentsTags:

iPod5G 60GB / white 届いた

10月 30th, 2005 · unclassified

意外に早く届いたみたいなので、取りに行ってきた。
開いた。見た。別にどうってことはなかった。以上。

→ No CommentsTags: